2016年6月
80歳――退くには実にふさわしい節目かと思われる。世界でも最高の部類に入る醸造家がふたり、栽培責任者がひとりリッジにはいて、その全員と20年以上の歳月をともに過ごしてきた。
皆さんの多くは私の経歴を知っているかとは思うが、私は工芸品を造るという「天職」について言葉を紡いでみることにした。運命か何かはともかく、私は16歳の時に自分の天職が何かを最初に悟ったのだ。とある週末にヨーロッパ移民の家族と一緒に過ごしたとき、昼食や夕食の際に美味しいワインを一杯飲むことで、いつもの食事が儀式や共同体としての性質を帯びることを理解したのである。私はワインというものに惚れ込んでしまった。
スタンフォード大学で過ごす頃に再び、こうした天職への想いが湧いてきて、北イタリアで生活・仕事をしていたときにも同じ経験をしたが、まだ機は熟していなかった。時が来たのは、チリ沿岸で古木が植わる、灌漑されていないブドウ畑と古いボデガでのことだった。ここでとうとう、天職につくことができたのだ。今までの50年間、チリで3回、リッジで47回、自分の天職を追求することができている。
ワイン造りという天職
ヨーヨー・マーの技はチェロ。バリシニコフはダンス。いずれの技も高級ワイン造りよりはるかに厳しいものであるが、このふたりに共通しているのは、愛と限りない熱狂、つまり工芸品に対する情熱と呼ぶべきものである。こうした人物は、妥協することなく最高の品質を達成することに、深いこだわりを持っている。自分たちの技術を完璧にすることを、決して止めないのだ。
1968年、私は大学の友人であるフリッツ・メイタグと一緒に、灌漑されていない丘陵地の古い畑で3ヴィンテージのカベルネを造った後、カリフォルニアに戻ってきた。チリの経済情勢が危機的になったことで、アメリカに戻る決意をしたのだ。前年、スタンフォード大学研究所の科学者であるデイヴ・ベニオンは、スタンフォードのワイン同好会の集まりで、チリでのワイン造りにおける19世紀のアプローチについて、フリッツと私が話しているのを聞いた。1962年にリッジ・ヴィンヤーズとしてモンテベロの畑を再開したデイヴと、そのパートナーであるヒュー・クレーンとチャーリー・ローゼンは、私たちの伝統的なアプローチに興味を持っていたのである。ワインとは「本物」であり、それはスタンフォード大学研究所が先駆的に取り組んでいた「仮想」の世界を、完全に補完するものだという彼らの思考や実践に、このアプローチが適合したのだ。デイヴらは私に、醸造責任者の仕事をオファーしてくれた。
前・工業的ワイン造りの哲学
私は、シカゴの西にある80エーカーの農場で育った。チョート・スクールからスタンフォード大学へと進み哲学の学位を取ったのち、北イタリアで2年半を過ごした。幸いにも、モントレー言語学校に通ったあと、ヴェネト州にある政府機関の民間人連絡係として働くことになり、そこからパリ大学に進学し、フランスを中心に幅広く旅をした。
ヨーロッパで最高のワインは、60年代初頭にはまだ伝統的に造られていたのだが、アメリカに戻ってみると、信じられないほどそれらが安価であるとわかった。こうしたワインは、最高のものが何かを私に教える師匠となってくれのだ。禁酒法撤廃直後の数年間に造られた最高のカリフォルニアワインもまた、伝統的に造られていた。カリフォルニアが40年代までに移行した、「現代的」な技術を用いるワイン造りによるものと比べると、複雑で長持ちし、興味深いものだった。私たちは、土地よりも醸造家がワインの個性を決めること、すなわち複数のブドウ畑の果実をブレンドするのではなく、優れた単一ブドウ畑からワインを生産することを早くから提唱していた。
遺産と世界の評価
150年間にわたってヨーロッパ最高のワインを生み、そしてカリフォルニアでは1890年代から1920年までと、30年代後半に再び用いられた工業化前の技術に私たちがこだわってきたことが、カリフォルニアのワイン産業に貢献したならよいのにと思う。確かなのは、それでリッジが大成功したことだ。モンテベロの畑から造られているワインの品質は、今では有名になった1976年の「パリスの審判」に、1971年のモンテベロを含めたスティーヴン・スパリュアの目を引いた。スパリュアがロンドンとカリフォルニアで開催した、もともとのヴィンテージのワインを使った30周年記念テイスティングでは、1971年のモンテベロが2位のワインに18点差をつけて1位になっている。私たちは、70年代初頭の時点でヨーロッパにワインを輸出するだけでなく、生産量の大部分をアメリカ東海岸で販売した、小規模な高級ワイン生産者の先駆けとなった。1971年のモンテベロはイギリスとフランスの両方に輸出されたし、今日では輸出先の国は40を超えている。
ボルドーの最高峰に匹敵するモンテベロを、ボルドーよりも恵まれた気候のもとで、毎年安定的に造り出すだけで満足していてもよかったかもしれない。しかし、伝統的手法で造られた古木のジンファンデルの品質を見た私は、カベルネのために編み出されたブドウとワインの扱い方で、ジンファンデルを仕込むことにしたのだ。
60年代半ばから私たちは、複雑で個性的なワインを生み出す可能性を秘めた古木のジンファンデルを探し求めていた。リッジは、高級ワインとしてのジンファンデルの先駆者になっている。ジャンシス・ロビンソンが1989年の著書『ヴィンテージ・タイムチャート』の中で、世界最高のブドウ畑70にガイザーヴィルの畑とモンテベロの畑を選んだ時、私たちの野望は後押しされたものだ。「高級ワイン用の原料には世界のどこでもなっていないブドウを使っていたので、立地、品種、ワイン造りの質が適合するのが不可欠だった」。
長い歳月にわたって伝統的なアプローチに忠実であり続けてきたことで、いくつかの賞を授かることもできた。『デカンター』誌のマン・オブ・ザ・イヤーを受賞したアメリカ人は、私のほかにはロバート・モンダヴィ、アンドレ・チェリチェフだけだ。また、『ワイン・スペクテーター』誌の特別功労賞や、マスター・オブ・ワイン協会の「醸造家が選ぶ最高醸造家賞」も受賞することができた(後者は、マスター・オブ・ワイン資格を持つ醸造家の投票による賞だ)。私は長年にわたって、国際ワインアカデミーの会員でもある。
ポール・ドレーパー
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